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今朝いつものコースを走っていると

田んぼの稲穂が頭を垂れ始め夏本番はアツトいう間に終わりの始まりという感じです。

きって走る風はもうなんとなく秋の足音、木陰では秋のさわやかさが見え隠れしています


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従業員さん全員お休みで家族だけで店頭販売そして処方です

いつもと勝手が違うし思い通りにならないのでちょっぴりイライラ
家族だとわがままが出ます。

たまゆらの愛

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著者の藤田宜永はご存知、小池真理子のダンナで、
ともに直木賞作家で熟した恋愛小説の書き手です。

ちなみにこの方わたくしと同い年なのです。

50も半ばを過ぎた私設美術館の館長、宝田正太郎が受け取った1通のメール。そのメールが蠱惑の始まりとなって、閉居していたかのような正太郎の日常は狂いだす。

いつでも引き返せる自信があったはずが一方で、その年齢になって初めて知る

激情に崩れゆく自分を見届けてみたい気持ちも交錯するのだった。

逢瀬を重ねるうち秘密はお決まりの徐々に2人の外にしみ出し、

しみ出すことで迷宮入りしていた事件の真相が氷解していくというミステリーも並行して綴られます。

道ならぬ恋のたぎるような欲情から中年男女の精神の交合、バイセクシャル、そして通常ありえない偶然が重なる恋

思慮分別はいったい恋愛に必要なのか。

答えはいつもノーでなければ話は進まない。

思慮分別。それは道理をわきまえ慎重に判断すること。それとも大人が備えていなければならないとされる秩序を守るための注意深さか。

でも、自分自身を社会の檻に閉じ込めるため頭の片隅にセットされた警報ブザーという気がする。
皆さんならどのような定義づけをしますか。

帯に「恋するなら、こんな男と燃え尽きたい」

しかし話の展開に無理があるなあという気持ちを引きずりながら読了

恋愛小説はわたくしの興味の範疇からギシギシとタガが外れかけています
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