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コーワから出た虫の忌避剤、このシメシメした季節

よく売れます

ウナ虫よけ当番110601 002

有効成分メトフルトリンが3次元バリアのように広がり

いやな虫を寄せ付けません。

吊り下げても、置いても使える屋外・屋内兼用の虫よけで

電気も火も使わないので、開封するだけでそのまま設置できます。


有効成分が網目状の樹脂プレートに練り込まれているので、

雨にぬれても効果が続きます。
【使用期間】およそ63日

【適用害虫】ユスリカ、チョウバエ


玄関ドアや窓のそばなど虫の侵入口に設置。(およそ12㎡あたり1個)

只今品切れ中、一週間後には入荷する予定です
80年の実績をもつ小児用のかんむしの常備薬

ヒヤ、ヒヤ、ヒヤの、ひや・きおーがん

「樋屋奇応丸」の販売を大幸製薬が引き継ぐという報道

これでずーっと商売をしてきたが少子化で将来を
見通した場合やはり暗いということはわかる

製造に特化して販売を大手大衆薬メーカーにまかせることにしたのだろう

これが8月から販売される新パッケージ品
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もうひとつの同効品「宇津救命丸」はどんな動きをするのだろうか、興味深い

40年前までは薬局には欠かせない薬品だったのだが今じゃ店頭にある店少ないのではないか

お客からの指名もここ十年ウチの店ではない
午前中に初来店の80歳まわりのおばあちゃま

雑貨のコーナー、お菓子の百均コーナー、化粧品の棚をゆっくり

回られ一番奥の医薬品のコーナーへお越しになりひとこと

「あらああ くすりも 置いているんだねえ」
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ええウチは本業が薬局なんです

20年前は日配品、冷凍食品、グロサリー、バラエティグッズなど

山盛りのお店だったのでたまに「くすりもあるんだね」なんてあったんですが

最近じゃばりばりの調剤中心の薬局と自分じゃ思っていたけれど

お年寄りの視点で見ればこんな発想をしてくれるのかと

何やらすこし恥ずかしいような嬉しいような気分になりました

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大塚製薬の医療向けPR誌「大塚薬報」より

[円形脱毛症の原因]はストレスからと思いきやこんな按配で抜けてしまう事があるそうだ

◆自己免疫疾患

ヒトには外部からの異物を排除・破壊する免疫機能が備わっているのですが、

その免疫細胞のひとつのTリンパ球が毛母細胞を異物と誤認し、攻撃して抜けてしまうのです。

ヒトには血管内に侵入した異物を排除・破壊する免疫系機能のあるTリンパ球と、体内の全細胞に存在し、

壊れかけた細胞の修復し、体を守る熱ショックタンパク(HSP)と呼ばれる機能があります。

このTリンパ球と熱ショックタンパクの関係は、熱ショックタンパクが壊れかけた細胞の回復・修復が

しきれなかった場合に、リンパ球が異物とみなし排除してしまうのですが、ストレスや不安が原因で

熱ショックタンパクの生産量が減少してしまいます。

それにより、Tリンパ球は免疫反応を起こし、1ヵ所もしくは数ヵ所に集まって毛母細胞を攻撃し始め、

毛の成長段階に関係なく攻撃された部分の毛髪はいちどきに抜けてしまうのです。

さらに、ストレスが続くと、Tリンパ球は攻撃し続け、脱毛部分が少しずつ広がってしまいます。


人にとっては劇的に抜けてしまうと深刻な問題ですが

ケムシであれば全身ヌケタとしても

イモムシとして生活すればいいのであってあまり大勢に影響はありませんからネ

そういえば自転車仲間の諦念おじさんのブログにイモムシの写真がでていたなあ

毛が抜けたらこんなイメージかな  
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はげの数え歌は地域により文言に違いがあるようですがまあ標準的なものはこれかな

  一つ二つはいいけれど

  三つ 三日月ハゲがある

  四つ 横ちょにハゲがある

  五つ いつでもハゲがある

  六つ 向こうにハゲがある

  七つ 斜めにハゲがある

  八つ やっぱりハゲがある

  九つ ここにもハゲがある

  十で とうとうツルッパゲ~
愛知県薬剤師会館の南側に名古屋東照宮がありこの前の土曜日

会長会で行きました。たまたま徳川家康を祭神として祀るこの神社の

祭礼でした。4月17日は家康の命日なんですね。

会終了ふとみると舞が始まりましたのでしばし観覧、雅楽も生本番であります

格調高いですねこの神社の祭礼は。
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ご興味があればお読み下さい

由緒
 社に奉斎する家康公は尾張徳川家中興の祖にして、名古屋の地を開き、城を築いて第九子義直公(尾張藩祖)を以て始めて居城せしめられ、名古屋開府の祖神にし恩神でもあります。
 家康公逝去後三年即ち元和五年(1619)九月十七日に義直公は日光山鎮座の式に準じて、城郭内三の丸に社殿を創建し天台宗尊寿院並びに神主吉見公和氏を以て奉斎せられ社領一千石を附せられたが、廃藩と共に廃せられる、明治五年五月村社に列せられ、同年八月八日縣社に昇格、同九年十月舊藩立校明倫堂跡地即ち現在地に遷座される。
 建物は、創建以来の権現造の本殿、渡殿、楼門、唐門、透塀、楽所、社務所等極彩色の国宝の諸建造物が並び輪郭の美を極めていたが、戦災を被り烏有に帰す。
 明治五年五月村社に列し同八年八月縣社に列せられる。
 現在の本殿は、昭和二十八年十月尾張徳川家より藩祖義直公の正室高原院殿(春姫)の霊廟〔慶安四年(1651)建立〕を移築し社殿とする。
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